’04・1〜2月

 04・2・28 ワインクルーズで会ったファラ

ワイン醸造所のぶどう棚の下で一休みする
     ファラ
 オーストラリア・パースでスワン川を遡るワインクルーズに参加しました。その船の

梶とマイクをうまく操って乗客を大いに乗せていた船長さん。

このお二人の飲みっぷり楽しみっぷりは見ているだけで私も楽しくなりました。
中で出会ったファラの話す言葉は流暢な英語ではなかったので、外国から来た観光客かしら?と思っていたら、メルボルンに住んでいると言う。それでは原住民の方かな〜?と思って尋ねると30年前イスラエルからの移民だと答えてくれました。そう、オーストラリアは移民の国なのです。4人の子供達にそれぞれしっかりした教育をつけたので彼等はみんな何カ国語も話せて、一人は日本語の教師をしているとの話に「それは貴女の誇りですね」と言うと、とても嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれました。ファラ自身は自分の住所を書くのもおぼつかないような様子なのを見て、異国へ渡って暮らす人達の苦労を垣間見たような気がしました。
 ワインクルーズの操縦をしながらディスクジョッキーさながらの案内をしてくれた船長さん(多分)、最初から最後まで無料のワインを飲み続けた二人の女性(これは試飲の域はとっくに超えていた!)、他にも素晴らしい歌を歌ってくれた女性クルー、あまりにも飲むので奥さんに叱られていたかっこいい男性、一人旅でパースにやって来た若い日本人女性(これがまたかわいい娘さん!)・・・そんな人たちと過ごした楽しい船旅の1日でした。

 04・2・21 鈴代さんから春の便り!
 6日ほど留守にしていてメールを開けたらうんざりするほどのショッピング用メールの山・・・あ〜〜あ、こんなのは見ていられないから削除して・・・そして、残ったメールの中から久しぶり!鈴代さんからのメールを見つけました。
 
「今日はとても暖かくて、私も久しぶりにゆっくりした気分になり、写真を撮りましたのでメールで送ります。フキノトウをひとつ採り、きざんで味噌汁に入れて食べました。その後庭師さんが来て、庭木の消毒をしてしまいましたので食べるのは諦めました。それから、うちの長女は先日、長野県の人と結婚しましたので報告申し上げます。プリンタとスキャナとコピーの合体したものを最近買い込みましたので使いこなさなくてはと思っていますが、なかなかうまくいきません。高速通信もまだです。またおしえていただくことになるでしょう。どうぞよろしく。
  本当におめでとうございます!!
 昨日までオーストラリアのパースへ行っていて、ふと鈴代さんの娘さんを思い出していました。広い広い土地を開墾し牧場を作った150年も前の入植者の話をガイドさんから聞いて、鈴代さんのお嬢さんも長野で農業をしているんだな〜とバスの窓から思っていたのを不思議に思います。
 パソコンの指導はとても出来そうにありませんが、春の便りをありがとうございました。
     ご結婚のお祝いにバラを・・・

香と苦味が春を呼んでくる
黄緑色のフキノトウ
    
長野の地に根をしっかり張って大きな大きな実になる事を祈っています。

このページをUPした後に、左の福寿草の写真を頂きました。
往復書簡のようで嬉しくなります。

 04・2・14 常子さん、庸子ちゃんの母娘とランチを!
いつもニコニコ笑顔の
常子さん!!
この笑顔は何年経っても変わらずに周りの人を癒してくれます。
  8月にはママに・・・
どんなに素敵なお母さんになるかと楽しみな庸子ちゃん!
 庸子ちゃんと私の娘(琴和のママ)がまだ幼稚園の時が最初の出会いでした。庸子ちゃんはその当時から一人抜きんでて背の高い女の子、もちろんその後も立派に成長して大きくなりました。しっかり、ハキハキ、「良い子」の見本のような子がそのまま素直に大人になって・・・それが今やもうすぐママになろうとしている・・・う〜〜〜ん!感慨深いものがあります。庸子ちゃんのママの常子さんと








てんとう虫模様の長靴を履いた琴和が、雨の中を歩き廻るのが楽しみ!長靴をレストランのテーブルに置いて写真を撮ってしまいました。ごめんなさい!
「自分達は変わった気がしてないのに周りは着々と変わっていくね〜」という思いでため息でした。
 久しぶりで4人で食事(琴和も入れると5人)、4人で食事は初めてだったかも・・・とにかくイタリアンでランチをして旧交を温めました。家族の状況、庸子ちゃんの旦那様の話、友達の話、仕事の話・・・・本当に二人ともちっとも昔と変わらないな〜、と思いながら顔を見ているだけで嬉しくなってしまいます。
 庸子ちゃんが「コットン(琴和)に誕生日プレゼント!」とおもむろに取り出した袋の中に入っていたもの、それは赤い長靴!「これってヘビ?」って尋ねると「誰が見たってこれはてんとう虫でしょう!」・・・そうかな〜?誰が見たって??
 今年中に庸子ちゃんのお兄ちゃんと庸子ちゃんの所と二人赤ちゃんが誕生して、常子さんのお宅もにぎやかになりますね。また赤ちゃんを見せていただきに行きます。



          

 04・2・7 2月4日、琴和は満1歳になりました!
 娘の娘、琴和は昨年の今頃はこの世に生まれる為に本人も大いに苦労したのに(知らないよ〜そんなこと〜)、今は何でも琴和が中心、ハイハイをしたいろいろ食べるようになった・・・・そんなことに右往左往しているパパとママです。(クリックすると写真が大きくなります)

おいし〜いケーキも
琴和は来年まで
オアズケ、
あ〜〜、残念!

琴和怪獣に狙われたケーキ、
危うし!

お祝いの鯛は「腹と腹を合わせて・・・」

世界一大きいみかん
晩白柚
(バンペイユ)!
琴和の顔と
どちらが大きい?


イチゴは
食べれるよ!

満1歳の誕生日おめでとう!

パパが琴和に
最初に教えた言葉は
「ゲッツ!」


は〜〜い!
食べかけのおせんべい、
欲しい人だ〜〜れ?


もしもしするの
だ〜いすき!

ママと一緒にフー!
          ドンペリで
カンパ〜イ
誕生日のお祝いにもらった
ミッフィーの車に乗って
ダイマンゾク〜、
今に家の中を暴走しそう!





まだ
歩けないの〜
でも
背伸びして
 イタズラは
 してるの。

 04・1・31 美恵子さん、ご馳走様でした!

この部屋には剛丈君の自画像や愛用したラグビーボールなどが大切に保存されています。
 いつも忙しい美恵子さんのお宅にお邪魔して美味しい昼食を頂きました。友人達と食卓を囲んだ部屋は1992年10月17日ルイジアナ・バトンルージュで射殺された服部剛丈(よしひろ)君の遺品で一杯。その壁の“PLEDGE(誓約)”と書かれたタペストリーにはおびただしい数のサインと言葉が書かれていました。それについて美恵子さんの話です。

牡蠣ご飯はとってもおいしくて秘訣を教わりました。これからは我が家の定番になりそうです。

近くの卸市場で新鮮な食材を整えて用意された手巻き寿司、どうもありがとう!
 『ルイジアナ州での射殺事件から10年を経た2002年、中京テレビ“ズームイン!!Super”のスタッフと共にアメリカを旅行しました。(9/29〜10/11)タペストリーとしてかけてある“Student Pledge(学生としての誓約)”はその旅の10月3日、ミネソタ州・ノースフィールド市内にあるノースフィールド高校の学生達からプレゼントされたものです。高校生達約1000人は「銃を学校へ持ち込みません」「銃によって物事を解決しません」と誓って特大のバナー(旗)にサインをするイベントを行いました。“Student Pledge”の運動は米国のあちこちで広がっています。』
 銃が蔓延しているアメリカでは高校生はもちろん、幼い子供でさえも銃の被害者になります。「銃を学校へ持ち込まない、銃によって物事を解決しない」・・・日本人はこのようなことを誓う事に驚きます。しかし、そう遠くない未来にこのような状況が日本でも見られるのでは、と思うと恐ろしくなります。そうならないよう今私達がしっかり銃規制に取り組まなければなりません。美恵子さんはそのシンボル的存在という重圧の中でも淡々とこの運動を続けてこられましたね。いつも感心しています。
 6月にまたルイジアナの高校生が数名、短期ホームスティにやってきますね。その子達に銃のない日本の安全性を認識させたいものです。

 04・1・24 会うとホッとさせられます、千代子さん!

写真を撮る時、莉代ちゃんは可愛くポーズをとってくれました。

華代ちゃんはネンネブトン持参で外へ出ようとしていました。お気に入りの布団やタオルを離さない小さい子って、それだけで可愛い!
 H8年度の愛知県男女共同参画支援セミナーで初めてお会いしてから早いものでもうすぐ8年になりますが、千代子さんの穏やかで優しい印象は全く変わりません。
お土産に切っていただいた水仙は、いい香りを部屋に漂わせてくれました。 ↓
その間にお孫さんが生まれてますます優しくなっていくように思えます。千代子さんと話すと私もおっとりした話し方が似る様でちょっと嬉しくなります。
 15年度はウイル1の担当幹事を一緒に勤め、事務作業をする時、広い千代子さんのお宅を使わせていただきました。お抹茶を立てていただいたり、新鮮な野菜のサラダをご馳走になったり・・・いつも居心地のよいお持て成しを受け、のんびりさせていただきました。
 先日伺った時、東京からお孫さんの莉代(りよ)ちゃん華代(かよ)ちゃんが里帰りしていました。小さい子とおしゃべりすると、時間に追われている日常の生活が色褪せてみえるほど、ゆったりした気持ちにさせられます。莉代ちゃんと華代ちゃんにとって、おばあちゃんの家にいる時は核家族でいる時とは違った特別なものでしょうね。
 もう5年ほど前からでしょうか、毎年、年末になると千代子さんが届けてくださる干支のちぎり絵、それを玄関に掛けると新しい年がやってきます。今年一年、千代子さん作の「見猿 言猿 聞猿」が我が家の人の出入りを見守ってくれるようです。

 04・1・17 故・田中知彦先生へ(思い出の言葉)
 いつも冷静で優しく穏やかな先生で、家に居る様な温もりのある暖かい学校生活が過ごせました。またとても良いクラスメ-トに恵まれうれしい限りです。
 田中先生、天国で安らかにいつまでもかわいい奥様をお見守りください。
                    
(みち子)
 私にとって田中先生は、高学年になり、何をどのように勉強したらよいのか分からなかった私に学習への興味、意欲を奮い起こさせ、指導して下さった大切な先生でした。
 久しぶりの同窓会でみんなと話した時、多くの人がそうであった事を知り、素晴らしい先生に巡り会えた私達は幸せだったと思いました。
 卒業後、年賀状だけで、御無沙汰してばかり。今になって思うことは、大人になってからも良き人生の先輩として教えを乞うておけば良かったってことです。
  ありがとう!田中先生・・・         (朱美)
 
 大変お世話になりました。    
(弘
 海山道神社で写生をした時、図画工作の苦手だった私は、絵の上手なM君の近くに陣取って彼の描く同じ松の木を描きました。彼の絵を真似るためです。
 下書きの仕方もそのまま、絵の具も同じように出し、筆の使い方も右に習えで何から何まで同じようにしました。見回ってきた先生は私がまるっきり真似ているのを知っても咎めず、笑みのまま黙って見ていかれました。
 出来上がった絵に私はとても満足し、M君の横に展示してもらいました。何点かが展示される時に貼り出してもらったのは初めてでした。 真似ているのは知っていらしたのに何故貼ってくださったのか先生に聞きそびれてしまいました。残念です。私はこの時から絵画に興味を持ち始めたように思います。
 今でも決して上手だとは思いませんが、中学の最初の絵はとても楽しく書くことが出来て美術の先生に好評を頂けたのも、邪魔に思わず?横で描かせてくれたM君と、まねっこを見逃してなお評価して下さった田中先生のお陰だと思っています。ほんとうに有り難うございました。
 直接お話する機会を永遠に失ってしまったのが残念です。           (恵美子)





先生の遺影にお参りさせて頂きました。
 
 もう40年以上も前になるので小学校時代のことを覚えてる事の方が少ない中で、先生と遊んだ長太ノ浦の浜辺のことは、今も思い出すことができます。
 高校を卒業して就職したのが長太ノ浦にある会社でした。職場から浜辺を眺めては、昔ここで遊んだ事がある、と同僚に話したものです。通勤の行き帰りは先生の家の前を歩いていたので、いつも懐かしく思い出していました。
 27年間勤めた会社では嫁さんを見つけ、現在の仕事(御在所クライミングスクール)となった山登りも自由に行けた。このような自分を育ててくれたのは、みんなと遊んだ長太ノ浦だったのかもしれません。
 先生ありがとう。      
         (行照)
 
 6Eの仲間の輪をより充実させることで、これからも先生に対する感謝の気持ちを膨らませていきましょう!       (誠)
  黒板にかかれる字が男の先生にしては端麗であると思ったことが印象に残っています。数十年経って頂いたお手紙の字も昔以上に美しい筆の流れでした。遠地から、ご冥福をお祈り致します。                       (法子)

 04・1・10 恩師・田中知彦先生の思い出
  田中知彦先生
19999月のクラス会にて。

奥様は「この子がいるから」とプーちゃんに癒されているご様子で、ホッとしました。
 年も押し詰まった12月28日、三浜小学校時代の恩師・田中知彦先生が亡くなられました。訃報を受けたのが30日の葬儀の夜だったので、残念ながら間に合いませんでした。同級生と誘い合い、先生のお宅をお訪ねしたのは年が明けてからのことになりました。
 先生の専門は国語でしたが絵や書も得意とされ、音楽以外の全教科を担任として教えていただきました。

丹精込めて育ててこられた山野草が、庭一杯に置かれていました。

玄関先に良い香りのソシンロウバイ(素心蝋梅)が、まるで先生を送るためのように美しく咲いていました。
私が今ホームページを作成して文章を書いているのは、先生が一度作文をほめてくださったことで、書くことをいとわなくなったおかげです。学校の先生の一言で子供は喜んだり傷ついたり、大人になっても大きく影響することを実感しています。その大変な職業を小学校の校長先生で終えられ、教育者として全うされました。
 昔、夏休みに先生のお宅へクラスの大多数がお邪魔したことがありました。可愛い奥様と二人のお嬢さんのいらっしゃる素敵な家庭でした。ご馳走になったカレーライスのこと、近くの長太ノ浦海岸へ泳ぎに行った事などは、いつもクラス会の中で思い出話しとして話題の中心になります。
 この壁紙にあるマークは三浜小学校の校章です。私達は第3回の卒業生だったことを、今思い出しました。若い学校だったのですね。
 これからも6年E組のクラス会は先生がいらっしゃるつもりで開きますので、先生もみんなの中に参加してください。早速5月に開く予定ですから。先生から、かけがえのない仲の良い同級生をプレゼントされたのだな〜と思っています。 合掌

 04・1・3 家族一同、明けましておめでとうございます!

松竹梅に南天、葉牡丹、千両・・・・日本のお正月には門松ですね!
家族揃って元気が一番!
今年もよろしくお願いします。


琴和の初飾りの羽子板
(舞踊「浅妻船」烏帽子姿の白拍子

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