’05・11〜12月
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 05・12・31 KIFAの行事納めは料理教室でした!

みんなで楽しく美味しく戴きました♪(写真はホームページ担当の若山さんから提供)
 27日(火)は朝から雪の降る日で、こんな中、料理教室に外国の人も含めてみんな集まれるのかしら?って心配したのは私だけ?と思うほどみんな当たり前のように集まって始まりました。(そういえば12月4日のKIFAクリスマス会も朝から雪混じりの霙が降り、寒い1日だったけど思わぬ大勢の参加者があったな〜って思い出しました!)
 かにえ国際交流友の会(KIFA)の今年最後の行事は外国人のための日本語教室「日本語しゃべろう会」火曜日クラスが開いた「子供といっしょに世界の料理」でした。午前中だけしか調理室の確保が出来ず時間の制限のある中、餃子、炊き込みご飯、パンなどのほかにクッキーやブラジルのデザートまで作って、みんなのすごいパワーに私はうろうろするばかり。今思えば、お母さんがブラジル人のエリサちゃん(3歳)と果物を切っていただけだったのでは?それでも食べる事にはしっかり参加ができました!火曜日クラス責任者の直子さんのパワーが皆に浸透してきたのを感じました。
 今年はKIFAにとってホームページが出来、新役員の方々から新しい息吹きがたくさん吹き込まれるなど、飛躍の年だったといえるのでは?と一人で思っています。2005年は愛・地球博で国際交流が注目を浴びた年。しかしその反面、外国人犯罪が大きく取り上げられ無力感を抱く事もしばしばでした。2006年KIFA最初の行事は2月19日(日)の「インドの子ども達に教育を」と題した講演会です。インド料理試食コーナーも作りますのでこれを読まれた方、是非ご参加を〜!
         
 今年もFriendshipのページを読んでくださった皆様、拙い写真や文章にお付き合いくださりありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

 05・12・24 四日市から来てくれて、どうもありがとう!
 写真の4人ともう一人キムちゃんの5人でメールをし合って、いつもお互いの様子が分かっている同級生が我が家に来てくれました、それぞれ心づくしの物を持って!!
 皆に気を使わせてしまって申し訳ない、と言いながらとても嬉しい!と言うのもQちゃんは自分で描いた油絵、ポンちゃんはアートフラワーで屋久島から運んできた木を飾って、SUさんは我が家の庭にハナミズキ、山茶花、ドウダンツツジの植木とスコップ、みんな嬉しいものばかりです。
 カサブランカの絵は2階に上がる時いつも見ています。すご〜く繊細に出来ているアートフラワーは洗面所でお客様を迎えています。山茶花はもう花を開いて、オマケのスコップは今や我が家の貴重品で雪かき道具として大いに活躍!!

八尾さ〜ん、みんなで戴きましたよ〜!

 メールでお互いの日頃の様子が分かっているはずなのに、こんなに話題があるかしら?と思うほど、おしゃべりをしながら食べて飲んで!(“飲んで”はほんの少しワインを)写真の塩羊羹は10月京都へ行った時、東京から来た同級生の差し入れをQちゃんが預かっていて、律儀にまた我が家へ運んで来てくれました。
 このメンバーの次のプランは「雪山(スキー)と温泉と美味しい食事」と注文が出ています。もちろんウノ(カードゲーム)付き。実現したらまたこのFriendshipのコーナーをにぎわせそうですね。

 05・12・17 ヴァイオリニスト・大久保ナオミさんのコンサートを我が家で!

独奏の他にも、キーボードの伴奏付きの演奏、そしてナオミさんの満面の笑顔に引き込まれるような温かい雰囲気のコンサートでした!

マネージャー役・大久保利裕さんの司会進行は楽器の説明も入って分かり易く、ナオミさんの演奏を引き立てて絶妙!
 引越ししたばかりの我が家に23人もの人が入って、大丈夫かしら?来て頂いた方達に窮屈な思いをさせないかしら?の心配はナオミさんの素敵な演奏で吹っ飛びました!
 彼女は現在フリーで演奏活動をされている方で、一昨年亡くなった私の友達の義妹というご縁もあったけど、友人達の勧めでホームコンサートなどという大それた(?)ことをやってみました♪
 ご夫妻が玄関に立たれた時からその気取らない気さくな様子にまず一安心。我が家の同居人などはすぐに利裕さんと音楽談義でした。
 まず定番「愛の挨拶」「美しきロスマリン」「タイスの瞑想曲」などから始まってヴァイオリンの説明、弦や弓の話しも楽しく聞かせてもらえて大いに納得!

この写真でお客さんの様子が分かりますか?
ちなみにナオミさんのヴァイオリンはアマティ!ストラディヴァリ、ガルネリと並ぶ銘器と言われ、ヴァイオリンはアマティに始まるとも言われているそのアマティなのでまたまた感激!「G線上のアリア」ではその柔らかく響く低音にウットリ!
 お茶の時間をはさみ第二部、お二人の馴れ初めや新婚旅行でのエピソードも聞いて、笑いに包まれたり、質問が飛んだり・・・その後は彼女お得意のジプシー舞曲・チャールダッシュを、軽快なフットワークと共に観客の間に入って音色を耳元で聞かせてくれました。動きながら踊りながらの演奏に魅入ってしまいます。
 リクエストに応えた即興演奏も素晴らしく、最後はクリスマスソングの演奏に合わせてみんなで歌いました。アンコールに応えて演奏したタンゴには「ブラボー!」の声も。
 2階に上がるとお化けがでるよ!ってみんなを脅して、見た目だけは片付いている1階部分だけを開放して大勢でにぎわったホームコンサート!おもしろい経験であったことと、来客者が一様に「楽しかった」と言って下さった笑顔が嬉しくて、ヤミツキニナリソー!
 ナオミさん、利裕さん、来て下さった皆様、ありがとうございました。

 05・12・10 作曲家・鈴木重夫さんのコンサート「歌の展覧会」!

故郷で開催したコンサートに感動され、始めの挨拶では少し涙ぐむシーンも・・・

たくさんの花束にたくさんの懐かしい顔に囲まれて重夫さんも輝いて見えました!
 11月30日、津のアストホールで開催された「歌の展覧会楽しいステージを求めて・・・〜」は、鈴木重夫さんの応援団全員集合!でした。
 重夫さんは作曲家としては合唱曲、歌曲、ピアノ曲などを作曲、童謡「サンバのサンバ」がNHKテレビ「お母さんといっしょ」でも歌われているのでご存知の方も多いと思います。とてもリズミカルで楽しい曲なので、我が娘の娘・琴和にも聞かせれば、彼女はきっと踊りだすことでしょう。また、ピアニストとしても活躍されていて、シャンソンやカンツォーネの演奏はとても素敵です。
 コンサートはもちろんすべて重夫さんの作曲したものの演奏。1部はバリトン、ソプラノ、メゾソプラノの歌手が素晴らしくて、そのパフォーマンスに見とれ、声の素晴らしさに聞きほれました。2部はピアニスト・大杉光恵さんと重夫さんのピアノ演奏。3部は女性アンサンブル「ごくらくとんぼ」の方の合唱、そうそう、私たちもリードに従って歌いました。
 会場ロビーでは、重夫さんの応援団で昔からの仲間たちが同窓会を始めていました。実は、私はチケットを忘れて行き、応援団のお一人に頼み込んで入れていただいたような訳で・・・・皆様ご迷惑をお掛けしました。(引越しでバタバタしていて・・・と言い訳をちょっと)
 来年6月24日(土)14:30〜津リージョンプラザで「歌の展覧会vol2」を開催するそうです。この楽しい音楽を是非皆様にも知っていただきたいと思います。

 05・11・26 和也と栄ちゃん、引越しのお手伝いありがとう!

運び終わって皆でホッと一息、食事のお美味しかった事!
 先週、我が家は歩いて10分かからない所へ引越しました。でも・・・・たとえどんなに近くても引越しは引越しだな〜と実感!こんなに大変な事だとは・・・と後悔に近いものがありますが、愚痴っていても仕方がない、前進あるのみです。
 ところでこの大変なことを手伝ってくれたみなさ〜〜ん、中でも和也と栄ちゃん、私からの“手伝って!”のSOSによくぞ応えてくれました。若いっていいね〜〜、と思わず言いたくなるほど力持ちの二人でした。
 おまけに二人ともパソコンのことなら何でもOKなのでこれから頼れそうなところも頼もしい!!
 私はと言えば、引越し前からと現在までの片付けで手の使い過ぎか、か弱い右手中指と薬指が毎日の作業で悲鳴を上げています。だからキーボードをたたくのもちょっと辛いので、今日はここまでにしましょう。          

 05・11・12 ハンブルグからオーハイムご夫妻!

飲み物は?に応えてエルケさんの注文したのは「Sake」です!

燗をして飲むのが好き、と嬉しそうなお顔がチャーミング!
 Oheim(オーハイム)ご夫妻がドイツ・ハンブルグから来日。KIFA(かにえ国際交流友の会)のメンバー宅へホームスティしました。
 1998年7月にKIFAからハンブルグへ、交流と観光で出かけた時、ハンブルグから北にある世界遺産都市でもある港町リューベックで青少年団体の仕事をしていたエルケさんが、私

アジアに興味のあるオーハイムご夫妻、タイ料理もOKでしたか?
たちのガイド役を引き受けてくださったのです。もっと遡ればその2年前、KIFAが受け入れたホームスティのメンバーとして彼女が日本に来たことです。こうして縁がずっと続いて7年後の今、リューベックの街のレストラン「Cafe・UtsPann」で食事をした時の写真を懐かしく見ながら、また一緒に食事をすることの不思議さ!(「ら・ばんだ」のタイ料理は美味しかったですよ!)
 今回は夫のクリスチャンさんも仕事からリタイアしたという事でご一緒です。メカニックのマイスターである彼は、話し出すと止まらなくて、私たちはそれを「クリスチャンの講義」と呼んでいました。専門的な話しで難しいところがあっても、私たちを話しに引き込む魅力のある人です。そうそう、本当はオートバイで日本旅行をしたかったけれどレンタルオートバイがなくて断念されたとか。それと外国から来た人は、日本の高速道路料金の高さにも閉口しますよね。
 ドイツ→ソウル→釜山→福岡から長崎、鹿児島大分とレンタカー(地図とカーナビと磁石で運転したそうです!)で九州1週(長崎では泳いだとか!10月末に泳ぐ人は稀だと話した)→京都→安城→蟹江→京都→大阪→上海→ハノイ(ベトナム)→ドイツ・・・あ〜〜すごいバイタリティ!そしてどこでも、なんでも興味を持って楽しむ姿は大いに見習いたいものです。お二人から元気をいただいた秋のひと時でした。
     
           来週はお休みします。2週間後にはお目にかかれますように!

 05・11・ 女性の応援団長・赤松良子さん!

「最近話すのが上手になった」と若々しいお声
 赤松さんの講演を聞くチャンスに恵まれました。こんなにチャーミングに年齢を重ねられたら素敵だな〜、と一番前で口をポッカリ開けて聞いていたので喉の乾いた事!!
 男女雇用機会均等法の「生みの親」、女子差別撤廃条約批准に力を尽くした人、女性政治家を育てる「くれない塾」の塾長、女性候補者への選挙資金援助の会「WIN・WIN(ウインウイン)」の代表・・・まだまだ肩書きが付きますが、そんな堅苦しさを感じさせない気さくなお人柄が話の端々ににじみ出ています。もちろん、労働省婦人少年局長やウルグァイ特命大使であったことは周知のことでしょう。
 1985年男女雇用機会均等法が制定されるまでの、並大抵ではないご苦労も面白く話されました。当時はやったミュージカル「マイ・フェア・レイディ」の中のイライザの父・ドゥリトルが歌う「運が良けりゃ」(With a little bit of luck)で気持ちを表したエピソードは、赤松さんの大きさとその当時の困難な状況が思われます。そして1999年4月に、さらに強化された男女雇用機会均等法が施行されるまでの長い道のりも、すべて「運が良けりゃ」をご自分で引き寄せたのでしょう。
  まだ30代だった官僚時代に「青杉優子」という名で雑誌に投稿して、中から殻を破った勇気と志の高さは未だに健在。
終戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)職員として日本国憲法の草案作成に加わり、条文に「男女平等」を盛り込むことに尽力したベアテ・シロタ・ゴードンを描いたドキュメンタリー映画「ベアテの贈り物」の製作委員会代表を買って出て、上映にこぎつけています。
 “女性の応援団長”は温かく率直な言葉で感動を与えてくれました。
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